聖 書 の 窓                              No13

「キリスト教って何?」

私はクリスチャンなので、多くの人に「私は聖書の真理を信じています」と言うと色々な反応があります。その中の一つで、共通した反応が「宗教は危ない」という反応です。

確かに日本では、オウム真理教の事件があり、近年は旧統一教会の社会問題が取り出さされていますので、当然だなぁと思いますし、また宗教を隠れ蓑にした偽物の新教宗教が出て来ているのも事実です。これらが本物であるか偽物であるかを見分けるにはどうするか。それは搾取されているか否かです。あなたから多くを奪って、その宗教が肥え太っているなら偽者でしょう。

しかしそうでないなら、その声に耳を傾ける価値はあります。なぜなら真の神は人から貢物(みつぎもの)を受ける必要はなく、かえって人に恩恵を施す方であると聖書に書かれているからです。もしあなたが聖書を読んで、その教えや価値観を知り、救いを手に入れて、あなたの人生を豊かにするなら、それは神の願っている事です。神は救いや幸福に対して、代償を求めないのです。神は愛なので、無条件であなたを救い、背負い、そして共に歩いてくれる方なのです。

では、聖書には何が書かれているのでしょう。まずは「救い」です。次に「救われた人はどの様に生きるか」です。その他に歴史や文学、金言・・と数々の事が書かれてありますが、一番重要な事柄は「救い」です。この救いについて、ものすごく簡単に説明すると、こうなります。

神はこの世界を愛し、天と地と生きるもの全てを造った。それは全てが幸せに過せるように調和に満ちた世界だった。神はこの調和が続くように神に似せて人を造り、で世界を治める様にとその管理を任せた。よって最初に造られた人は神の心が分かり、神に同調出来き、神と心が繋がった者だった。しかしある時、人に罪が入った。罪とは神から離れ、自分が神の様に善悪を決めれる事である。この時から人はではなく、自分を第一に生きる者(自己中心)と成り、それぞれが自分勝手な道を進むようになった。それゆえ人々の間に分裂、党派心、ねたみ、争い、嘘、殺人などの悪が増え広がり、世界に苦しみと悲しみが満ちて行った。神は人が自分の力で罪を克服出来ないのを知り、自分の分身であるキリストをこの世界に人として遣わし、全ての人間の罪の罰をキリストに負わせることにより、人を罪から解放する道を作った。そしてキリストを罪からの救い主と心で信じて、口で告白する者全てを罪から解放し、再び神と心が繋がる者とした。

これが聖書の教える「救い」です。

ですから、救いを得るのに「お金」は必要としません。だから救いにお金を要求する宗教は偽物です。また善行や修行や奉仕などの実績も必要としません。善行したら救われる、辛い修行が必要だとか、教会の為にいっぱい働かなければ救われない、と言うのも間違いです。

聖書には、救われた人は自然にキリストに似た者に変わって行く、つまり生き方が善行や奉仕の生き方に変って行くのだと書かれています。ですから信じた時に急に変わる人もいれば、少しづつ変わる人もいますし、なかなか変わらない人もいます。

しかし、あなたがどんな人間に変わるとしても、神にとっては、あなたが救われ、罪から解放されることが最大の喜びなので、その後の変化は二次的な事なのだと思っているのです。

救いの鍵は、あなたがキリストを罪からの救い主と心から確信して、口で告白できるか否かなのです。これは誰にでも出来る事ですが、誰もが手に入れようとしない「狭き門」なのです。