「迷子の羊」
新約聖書ルカによる福音書15章1節から7節日本の現代社会では3人に1人は、孤独や孤立を感じていると言う統計があります。これは世界一位とのことです。そしてこの社会問題はそうでない人々の生活にも影響して来ています。
なぜなら孤独はその人の健康も脅かし、介護を受ける年齢を引き下げ、介護費治療費を増やして税金を増やしています。また、孤立は周りの人々を巻き込む問題を引き起こす。極端な例はゴミ屋敷等です。孤独や孤立は、もはやその人だけの問題ではなくなっているのです。
さて、聖書にイエス様のたとえ話で「迷子の羊」があります。それはこんな話です。
ある人が100匹の羊を飼っていました。するとその中の1匹がいなくなったのです。そこで、その人は99匹を放牧地に残し、1匹を探しに野山に探し行ったのです。そして傷付いた羊を見つけ、肩に担いで戻って来て「みんな喜んでくれ、居なくなった羊が無事に戻ってきた」と言いました。 イエスはこのたとえ話を皆に語り「天国はそのようなところです」と言ったのです。私がまだクリスチャンでなかった昔にこの話を聞いた時、「おかしい?」と思ったのです。それは99匹をおいて1匹を探しに行くのは合理的でない、もし99匹に何かが起きて5匹でも死んだら、1匹を助けても意味が無いじゃないかと思ったからです。
つまり、もしかしたら危ない目に合うかもしれないが比較的安全な99匹と、このままにしておけば確実に死んでしまう1匹を比較し、どちらを取るのかと言う問題です。そして神は1匹の方を取る方だと言っている様に私には思えたのです。「不合理な。99対1なら絶対99でしょう!!」しかし神の視点は私の視点とは違ったのです。
神は確実に死んでしまうと分かっている羊を、そのままにしておく事は出来ないお方なのです。
その後私はこの問題に答えを見出せないままにクリスチャンになり、教会学校で子供達にお話をする役目をしていました。ある時このたとえ話の紙芝居をしてあげた時、ちいちゃな女の子が言いました。「迷子の羊さんが戻った時、ほかの羊さん達もみんな嬉しかったね、だって、もし私が迷子になった時も、神様は絶対探しに来てくれるでしょう」
私は、これを聞いた時「ああ、そうか」と思いました。1匹を救うことは1匹だけでなく、多くの魂も救う事なんだと。私は99匹と1匹を別個に分けて考えていました。だから99対1のどちらを取るかと思っていたが、そうではない。99匹と1匹は
繫がっているのです。同じ羊で、前は同じ仲間だったのです。
神様は、私達一人一人を大切な存在と見、同時に全体をも見ているのです。それは体に例えられます。私達の体は目や耳や足や手などの多くの器官で造られていますが、その中でもし手を失ったらどうでしょう。体全体が苦しむのです。ですからひとつを失うことは、全体の苦しみで、一つを助ける事は全体を生き生きとさせるのです。
さらに、困った時には、いつでも助けが来てくれると知っている事は、なんと平安な気持ちで日々を過ごせるのでしょう。私達は神様の元で、そういうコミニティーを作っていく事を、このたとえ話は、教えてくれているのではないでしょうか