きんきゅう「緊急」事が重大で、その対応や処置を急がなくてはならないこと。
人生には、突然、思いがけないことが起こることがあります。その時、私たちは何とかしてその事態に対応しなくてはなりません。
緊急事態!!
あるクリスチャンの家庭で、父親が突然病気になりました。容態が悪化し危篤状態となり、数日間、昏睡状態が続きました。家族はついに最後の望みを失ってしまい、父親の最後のことや葬式をどうしたらよいかと、病室の中で、相談し始めました。
しかし、奇跡的に病がいやされ、父親は意識を回復しました。そして次のように語ったというのです。
「私は見た目には昏睡状態だったが、実際には意識があり家族の会話を全部聞いていたんだよ。今まさに、この世を去るという淋しさの中で、家族が讃美歌を歌ってくれたり、お祈りをしてくれたり、聖書の御言葉を読んで、励ましてくれるならうれしいのに、葬式の相談などしていたことは、何とも悲しことであったよ。」
人の目には意識がないように見え、何もわからないようであっても、その人の中の魂は生きていて、耳が聞こえ、意識があるのです。
私の友人である一人の牧師は、このことを聞いてから、昏睡状態でもう望みがないと思われる人のところにも駆けつけて、その人の耳元でイエス・キリストの救いを話してあげるそうです。
「イエス・キリストを信じたら、罪の赦しを受け、天国に行くことができます。イエス様を信じるだけで救われます。信じるのでしたら、私の手を握るかうなずいてください。」すると昏睡状態にあるはずの人の多くが、うなずき、手を握って応答するということでした。
苦しみの中で
数年ほど前の話になりますが、ひとりの実業家が主イエス・キリストを信じてクリスチャンになりました。彼は、人生があまりにも素晴らしく変えられ、うれしくて仕方がないので、誰にでもイエス・キリストを信じた喜びを伝えました。
かつで学校の校長をしていた叔父さんのところにも伝道に行き、イエス・キリストは神が遣わした神の子であり、人間を罪から救うため、身代わりになって十字架に死なれたこと、三日目に死の力を打ち破って、死人の中から復活されたこと、そして、イエスを信じるなら、救われて永遠のいのちを持つことができることを三十分ほど熱心に話しました。
すると、おじさんは大声で笑い出しました。
「なに、キリストが死人の中から復活した?そんな馬鹿な話はするな。おれに話しても、他の人にそんな話をするのはやめておけ」
「叔父さん、どんなに笑っていいよ。私は本気で信じているんだ。クリスチャンは死ぬことは恐ろしくないよ。死ぬことは永遠のいのちの始まりだよ」
それから数年後、その叔父さんはがんになり、がんセンターに入院しました。だんだん食欲もなくなり、目の前に死が近づいたことを知りました。夜になると死の恐れがおそってきて、眠ることができなくなりました。“おれは死ぬ。死んだらどこに行くのか”と、毎晩苦しみ続け、数年前に聞いた言葉をふと思い出しました。
「叔父さん、クリスチャンは死ぬことは恐ろしくないよ。死ぬことは永遠のいのちの始まりだよ」
“本当にそんな心境になれるのだろうか、、、。”叔父さんは、奥さんに電話をかけてもらい、彼を呼び出しました。
彼が病院に駆けつけると、叔父さんは言いました。
「おまえの言っているイエスの話を聞かせてくれ。ほんとうに死の恐れから救われることができるのか」
危篤状態にある人に、長い話をすることはできません。
「叔父さん、三つの話をするから聞いてください。一つ、聖書はすべての人は罪を犯した(ローマ3章13節)とあります。叔父さんも神の前には罪人だよ。そのことを認めますか?」
「おれは罪人だとわかっている」
「もう一つ、人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル9章27節)とあります。叔父さんも罪人のまま死んだら地獄に行くよ。わかる?」
「わかっている。死ぬことが恐ろしい、地獄にいくことが苦しくてたまらない」
「もう一つ、主イエスを信じたら、天国に行ける。なぜなら、罪のない神の御子イエスが人間の罪の身代わりとなって十字架に死なれ、人類の誰も打ち破ることのできなかった、死の力を打ち破って死人の中からよみがえられた。このことを信じるだけで、罪の赦しを受けて、天国に行けるんです。(ヨハネ3章16節)
「おれはイエスを信じる。おれのために祈ってくれ」
五分間ほどの会話でした。
「主イエスさま、私は罪人です。お赦しください。主イエスさまを信じます。永遠のいのちをお与えください。」
二人は声を出してお祈りしました。その瞬間、叔父さんの上に平安が訪れました。
“ああ、もうこれでよい。おれも天国に行ける”
それから数日後、叔父さんは最期に次のような言葉を筆で書きしるし、この地上のいのちを終えて、安らかに天国に帰っていきました。
「永遠のいのちのあることがわかった。イエス・キリストを信じることができた」
だれでも、主イエスを信じるだけで救われるのです。