聖書の窓  No.5「それを食べると、あなた方は神のようになれるのです」

                     旧約聖書 創世記35

聖書を読んだことのない人も「アダムとイブ」は知っていますね。では、ここで問題です。彼等の食べた木の実はリンゴの実だったのでしょうか。・・・答えはNOです。

聖書によると、それは善悪の知識の実だったと書かれています。「それを食べるとあなたは神のようになり善悪を決められる様になります。」と蛇は言い、「それを食べると必ず死ぬ」つまり滅んでしまうから食べない様にと神様は言ったのです。

しかし残念な事に、それは美味しそうだったので二人は食べてしまいます。

しかしアダムとエバはその実を食べてしまいました。すると彼らはどうなったのでしょう。まず彼らは。神から身を隠します。これは神との関係を断つ分離です。次に「実を食べたのか」の問いにアダムは、エバが勧めたので食べたので悪いのはエバで、私じゃないと言っています。しかも「エバはあなたが私に与えた女」ですよと、神様にも責任の一端があるような言い方です。責任転化、私は悪くないという自己中心性の典型です。また、エバも悪いのは蛇だと責任転化していますね。

自分の思いは善、反対するものは悪という考えは、例えば自分に欲しい物があるがお金が無いので買えない時、欲しいという思いは善で、それを邪魔するお金が無いと買えないという社会は悪なので無断で手に入れます。つまり盗みです。そして「俺をこんなにしたのは社会が悪いからだ」と言います。また人は思いを成し遂げるために他人をも殺す事もあります。犯罪の根源は自己中心なのです。

そういう私も他人や世間を恨んで一年間もウツウツする状況に置かれれば、恨んでいる人を殺しかねないし、「悪いのは世の中だ」と叫んで犯罪に手を染めかねないかもしれません。

聖書には「全ての人は罪人です」と書かれています。これを「全ての人は自己中心の性質を持っています」と解釈すれば「なるほど」とうなずけるのです。

聖書はこの原理を教え、不幸を取り除き幸福になる為に、罪を解決し再び神との関係を取り戻す方法も教えています。

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