聖書の窓「バベルの塔」No11

旧約聖書 創世記11章1節から9節

旧約聖書に「バベルの塔」と言うお話があります。それは「ノアの箱舟」の後のお話です。

ノアの時代の大洪水で世界中の人々が滅び、世界はノアの家族だけになりました。やがてノアの子孫達は、ユーフラテス川の岸(古代遺跡が発掘されているウルではないかと言われています)に、町を造り発展させ「さぁ、我々は自分達の為に町を造り、天まで届く塔を建てて名を上げよう」と叫んだ。すると神は彼等の言葉を混乱させ、互いに通じなくされたので、彼等は町や塔を造れず、それぞれが全世界に散らばって行った。それゆえこの町はバベルと呼ばれた。という話です。

この話を読むと、私は現代社会を思わずにはいられません。通信とITが発達し、世界はクローバル化に向かっていると言われています。その源泉になっているのが経済です。より良い物をより豊かに手に入れるのが経済の目的ですが、その為には各自が分業して得意なものをより安く生産し、流通を世界中に張り巡らせて、より早く入手することが必要です。この為にグローバル化が叫ばれ、必要な情報伝達の通信と生産性向上の為のITが爆発的な進化しこれを後押ししました。これで人類は幸福になれる。と思ったが、そうでもないのです。

実は世界は決して一つに向かっていません。今、ナショナリズムや国家主義が世界に台頭して来ているのです。ヨーロッパでは以前は弱小であった極右の政党が勢力を増していますし、トランプはアメリカ第一主義者です。ロシヤのプーチンが行っているウクライナ戦争は同じ民族圏にいたウクライナが西欧諸国圏に移行することを嫌ったからです。習近平は中国こそ世界の覇者であるべきと願っているし、中東やインドも独自のナショナリズムこそ大切だと主張しています。

聖書には、大きな町や塔を建設し、つまり技術が進歩し、神の居る場所に届いて名を上げようと頂点を目指した時、破滅がやって来たと書かれています。それはお互いがお互いを分かり合える事の出来ない、各自が「自分が正しい」という自己中心が始まるからです。

この自己中心の事を聖書では「罪」と言います。そして罪の結末は「死」と書かれています。聖書には終わりの時に民族は民族に、国は国に互いに敵対し争い、それぞれ自分勝手な道を歩んでいくと示されています。どうしてそうなるのでしょうか。

人類の一致は無理なのでしょうか。いえ無理ではありません。問題は一致する目的なのです。グローバル化の源泉は経済です。経済はそのシステム自体は悪くありませんが、その目的が自分だけが豊かになれば良い、他の人の事は顧みないという自己中心な目的です。その目的で動くなら、経済中心のグローバル化は、あのバブルの塔の物語のようになるのです。

 

どうしたら良いのでしょう。それは高慢にならず、自分が小さき者であることを知り助けられている感謝を知る事です。夜空の星、高き山、広き海に接していると自分の小ささが分かるでしょう。太陽や空気や水があるから、生きていけますよね。それがタダで与えられていることに感謝しましょう。聖書にはそれらは神が造って人に与えたと書いています。また「隣人を愛せよ」とも書かれています。

人はひとりでは生きられません、他の人を大切に思い、一緒に生きる事が目的なのです。神に感謝し、隣人を愛することが、真のクローバル化の鍵ではないでしょうか。

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