聖書の窓 No.2 「神の愛」

「神は愛なり」    新約聖書 第一ヨハネ 4章16節

私は山登りが好きでよく近くの低山に出かけます。山道を歩いていると時々湧き水に出会います。山を管理している人が飲み易いように塩ビのパイプを取り付けてくれて、そこから水がずっと出ているのです。先日も水に出会い、どんな所から来るのかと崖の上を覗いてみたら小さな泉がありそこからパイプが引いてありました。

聖書に「どんなに素晴らしい言葉を話しても、愛がなければうるさいドラと同じです。才能が有りあらゆる知識に通じ固い信念を持っていても、愛がなければ何の値打ちもありません。また全財産を人に施し、死んだとしても愛がなければ何の役にも立ちません。」という言葉があります。

私達は良かれと思って他の人に色々してあげて、最初のうちは愛を注いでも、何の反応も無かったり、感謝もされなければ、つまり相手から愛が返ってこなければ、段々と愛が減ってゆき、ついにはその行為が相手にとってうるさいドラのように成ってしまうことを経験します。

変わらずに愛を注ぐって、難しい事ですね。それは、人は愛を注がれて自分も潤わないと他に愛を注げない存在だからです。

例えればあなたの中に「愛」を溜める水がめがあり、そこに愛が満たされていないと愛を注げないからです。

ではどうしたら水がめに愛を満たし続けられるでしょう。ヒントは神です。神は愛であって、その愛は無尽蔵です。まるで山の泉のように。

ですからまず神に近づき神の愛で十分に自分を満たすことが、先なのです。

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